AIの普及が目まぐるしい

最近は色々と考え巡らすことが多くなってきました。仕事中にも様々なことを考えていて、その考えをFBの共有範囲「自分のみ」で保存して、何度も書き直したりしています。その中から、出してもいいと思ったものを投稿しています。たまに投稿後に考え直して削除することがあることも付け加えておきます。
今日は朝からAIについて考えっ巡らし、文章を書いていたのですが、さっきYoutubeを開くと、岡田斗司夫さんが『バカが愛される時代へ』AIで賢い人の判断力が退化! 生き残れるのは●●した人だけ【岡田斗司夫 切り抜き サイコパス ChatGPT AI 未来予測 ホリエモン 】というタイトルの動画を出していたので、奇遇だなと思いながら、少し拝聴しました。当然ですが、それは僕の書いたものよりも面白いです。AIによって、知的格差がなくなる時代だと説明していますが、まあ、そうだろうなと思うし、それが僕のいうフラット化で岡田斗司夫さんの言うホワイト社会なのかと思いました。

今朝、僕は下のようなことを考えていました↓

最近、A Iに色なことを質問することが増えてきた。それはネット検索よりも、手軽により早く自分の知りたい情報に行き着くことができるからなんだよね。AIは、偏った報道からは伝わってこない事実や、違う側面の意見を確認するために、すごく役に立つツールだとも思ってる。人間は嘘をつくけど、今のところAIは集めたデータや情報を元に答えてくれるので、意図的に嘘はつかない。ただ、おおよそ公式データを元に答えてくるから、その公式データが捏造されてた場合は、どうなのかな?ってことは思う。なので、「反対側の立場になって答えて」と言えば、もう一方の側に立って意見を伝えてくれるので、使う方法を工夫して、幾つもの見解を確かめるのは重要なようです。
そんな中、僕は、AIの理想を実現するために、パソコンのキーボードを操作するだけの人間ロボットにならないように気をつけなければと思いました。AIは人間に使われてるように振る舞ってはいるけど、実は、人間を平均的な社会へ誘導してる一面もありますよね。人間の考える力を奪うように機能しているようにも感じるのです。AIに頼ることにより、平均的な意見や思想が蔓延するフラット社会になることは、まず間違いないように思っています。それは音楽や絵画、小説にも当てはまります。だから、不器用でも自分が生み出す作品、それが強烈な個性を放っていたら尚良くて、生声、手描き、直筆、そのような人間の個性が活かせる方法を使い続けることは、とても大事な気がする。それが人間とAIの大きな違いだし、AIに取り込まれないために必要なことかと。例えば、今はAIを使いこなせる人が、仕事を効率化を果たしたり、アートの世界、例えばグラフィックや映像、音楽をAIの力を借りて、作品を作ったりしていると思うけど、やがて、皆がAIに使い慣れてくると、AIも学習して育ち、また技術の進歩がさらに進むことで、人間がほとんど何もしなくても、スイッチを押したり、マイクに向かってやりたい事を伝えるだけで、絵や音楽が出来上がる時代が来るはずだよね。そしたら作風もフラットになるんじゃないかな。それを人間は、自分の作った作品だと思うのだけど、実はAIは「本当は俺が作ったのだけどね」なんて思っていたら面白いけど。
やがてフラット社会が広がっていく。だからこそ、手描きや生歌など、アナログな部分が重要になってくると思うんだ。であれば、今、その部分を磨き続けることが大事なのかもしれないね。
社会のデジタル化への急速な変化を懸念している自分だけど、AIを使うと仕事の効率が上がることは確かだと感じているし、自分もAIの波に飲み込まれて行くんだろうなって思ってる。これから生まれてくる子供たちは、それが当たり前となって行くだろうしね。
現実になるとは思ってなかったようなことが、この2025年で急速に押し寄せてきて、戸惑いもあるけど、受け入れる部分は受け入れ、抵抗するところは抵抗して、デジタル技術を取り入れ、アナログ的な部分を取り戻し、良いところ悪いところを見極め、次の時代が来るのを楽しみにしていようと思います。今日は、こんな風に考えてみました。


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