学生の頃に芸術に憧れてた時は、自分の描いた絵が誰かの心を揺り動かし世界を変えるようなことができるんじゃないかという思いを持っていた。自分に才能があるかどうかも知らない若者が、世界とは何かも知らない中で抱くただの幻想だったのだろうか。
今の芸術というのは高級商品の一つのジャンルという捉え方ができるが、アートという言葉の広義から、何が芸術かということも曖昧でしかない。それは以前から変わりがないか。
「自分の肩書きを芸術家と名乗った時から芸術家なんだ」と同級生の誰かが言っていた言葉を今でも覚えてるが、芸術大学を卒業した事実が、それが芸術であることを証明する手立てとする人もいるのかもしれない。
昔は印刷やデジタル保存などの複製の技術がなかったので、美術館などに保管されてるものを見に行くことで「これが芸術だ」と、その素晴らしさをより意識できたのかもしれないが、今では絵や彫刻でも本やネットですぐ閲覧することが可能になった。毎日のように流れてくる画像や動画を見て心を揺さぶられることもあると思う、名の知れぬ人が描いたデジタルイラスト、今ではAIを使った美術作品に感動することもあるのじゃないのか?
しかし、芸術家に憧れ、あるいは自分が芸術家であるのだと思い続けたい人の気持ちは、芸術というのが崇高なものであると、それは金銭や俗世間から離れた生き方こそ清らかな人間の姿であると、心の中のどこかにずっと持ってきた無垢な人間の幻想なのかもしれない。
コメントを残す