整体師と俺と木の人形

いつきつくる 

 

この作品は、2作目のコマ撮りアニメを撮れないで苦悩していた頃。2014年の夏に書いた小説です。

 
腰痛が痛くて仕事を休んでベッドで横になっていた。
 
テレビを見るのも飽きて、やることがなく、とりあえず目を瞑って、どうやったら腰痛が治るのだろうかと考える。
 
正確には腰痛の痛さよりも、坐骨神経痛による足の痛みや痺れに悩まされている。
 
病院でMRIという検査をやってわかったのは、椎間板ヘルニアがあるということ。
 
そのヘルニアが神経を圧迫していて、それが坐骨神経痛を引き起こしているということ。
 
俺はこれまでに何度もギックリ腰をやっているが、あるときから慢性的な腰痛に悩まされるようになった。
 
昨年の暮れに初めて坐骨神経痛というものになって腰痛とは違う神経の痛みに悩まされ始めた。数ヶ月してようやく痛みがやわらいでいたところだったのに、仕事が忙しくなり、無理していると、腰痛と坐骨神経痛がぶり返し、悪化した。
 
 
つくづく、疲れたら休むという、このあたりまえのことの大切さを感じる。
 
腰の様子がおかしくなったのを感じていたのに、激しく動いたのが腰痛や坐骨神経痛を悪化させた原因だというのは間違いなさそうだ。
 
 
本当は一日だけ休んだら働くつもりだったのだけど、仕事場に行ったが、痛みでやる気がなくなり休むことにした。
 
もう、休んで三日目になる。
 
自営業なので、急遽、休む事もできるわけだが、有給休暇というものがないので、おちおち休んでもいられない。収入が途絶えるからだ。
 
 
俺は何度も今の仕事をやめてやろうと思った事がある。好きで始めた仕事だが思ったようにいかなくて、収益が上がらなくて、そのことは俺のプライドを大きく傷つけた。今回の腰痛の悪化で俺はすっかり気持が萎えた。
 
もう、この仕事とおさらばしようかって、自分の才能のなさに、少しうんざりしそうだ。
 
 
ベッドに横になってやることと言えば、テレビを見ることか、ツイッターでつぶやくか、それとも本を読むか、あるいは睡眠につくか、または何かを思いめぐらすこと。俺は嫌なことばかり思いめぐらせていた。
 
 
 
電話が鳴った。机の上の俺の携帯電話だ。ベッドから手を伸ばして携帯電話を取った。
 
 
「シバケンさん、山辺です。面白い話があるのですが」
 
 
電話は山辺からだ。
 
 
ちなみにシバケンというのは俺のニックネームだ。柴田健一、略してシバケン。
 
 
「お、山辺君?少し聞き取りにくいのだけど」
 
 
ゆっくりとボソボソ話すのは山辺の特徴だ。俺がそう言うと、やれやれと言った感じで、少しだけ声が大きくなった。
 
 
「ツイッターで腰が痛いってつぶやいていましたよね」
 
 
「ツイッター、見たの?」
 
 
「はい。実は、その腰痛の件で、すごい情報があります。今から行っていいですか?」
 
 
「何それ?すごい情報って?わかった。俺、今、家にいるから、今から工房に行くけど、どれくらいで来る?」
 
 
俺は痛む腰にコルセットを巻いて工房に出かけることにした。
 
 
雨のため工房の中は薄暗い。機械や材木の置かれている部屋を抜けた一番奥の部屋で、俺たちは腰をかけていた。
 
 
山辺はどちらかと言うと物静かな男で、自分から積極的に何かを仕掛けてくるタイプではない。しかし、彼の持って来る情報や話には興味深いものが多く、今までにも、役に立つ情報をたくさんもらった。
 
山辺が今回のように改めて電話して来るなんて珍しいことで、いつもは、忘れた頃に、ある日突然工房に現れる。
 
そんな、山辺がわざわざ電話をよこしてから来るということは、よっぽど、面白い腰痛の話でもあるのだろうか。
 
 
「カラオケボックスの社長から訊いたのですけど」
 
 
「ああ、あのカラオケボックスの社長」
 
 
カラオケボックの社長は、よく山辺の話に出てくる。以前は、石油会社で働いていたとか。
 
 
「社長も腰痛に悩まされていたのですが、ある整体師の治療で腰痛がすっかり治ったようです」
 
 
「なんだ、そういう話か」
 
 
この手の話はよくある話だ。
 
 
「まあ、そういう話はよく訊くでしょうが、それが、本当に一発で治ったようです。そして、その整体師というのが、すごく美人みたいです」
 
 
「へえ、女の人か」
 
 
「社長は、まるで魔法のようだと言っていました」
 
 
「魔法?ほんとかね」
 
 
「もし、シバケンさんが良ければ、社長に頼んでその整体師を紹介してもらおうかと思って」
 
 
よく効く整体師がいるって話は、今までに何度も人から訊いたことがある。
 
ギックリ腰のときには、親戚や友人から聞いて、絶対によく効くという整体治療院に何度か行ったこともあるが、大きな治療効果を感じたことは無い。

その度、治療院を変えて、また別の治療院に行くのだけど、どこの治療院も治療内容に違いはあるものの、治療が終わった後の経過には、さほどの差は感じられず、効いているのかいないのかが、なかなか実感できないのが実情だ。
 
 
病院でブロック注射っていうのがあるけど、注射をしてよくなる場合もあるし、その時だけ痛みは消えても、時間がくれば元の痛みに戻ってしまって、継続的な効果が得られない場合も多いらしい。
 
ヘルニアの程度にもよるし、一律に効果が期待出来るとは言えない。
 
手術は効果的なヘルニアの治療法の一つだが、数週間の入院も必要となるし、やはり手術となると多少は身構えてしまうものだ。
 
また、必然的に仕事がストップすることになる。最近ではレーザー治療などの一泊二日ほどで退院できる治療もあるが、保険が使えないため高額な治療費が必要となってくる。
 
 
いずれにしても、様々な整体や医者にかかって俺が学んだのは、腰痛というのは、まず安静が一番だってことだった。
 
 
「俺、シバケンさんには世話になっているから、社長に頼んでその美人の整体師を紹介してもらおうと思って。どうですか、おもしろそうだから、騙されたと思ってその美人の整体師のところで治療してみては」
 
 
「美人の」ってのが、俺の気持を揺さぶった。
 
と、言う事で、俺は騙されてみることにした。
 
と、言うのは嘘で、本当は「美人の」というのはきっかけにすぎず、俺は本当に腰痛を治したかったんだ。
 
 
 
 
その美人の整体師とは、ビジネスホテルで落ち合う事になった。出張整体しかやっていないようだ。治療費は一般的な価格の倍ほどかかるとのこと、ホテル代や交通費を合わせると、かなりの金額になってしまうが、まあ、美人の整体師ということで、仕方がないかと諦めた。
 
 
整体師とは一度だけ電話で話をした。待ち合わせの場所や時間など、簡単な用件のみを確認した。冷静で明朗な喋り方だった。女医や弁護士にいそうなタイプだと思った。背が高くて細身、少しきつい性格だと想像した。
 
 
その日、俺は整体師から指示されたホテルに着くと、シャワーを浴びて部屋に備え付けの浴衣に着替えた。
 
とりあえずテレビのスイッチを入れて、ベッドに横になって時間が来るのを待っていた。整体の治療とは言え、ホテルでの待ち合わせ、相手が美人の女というだけで、「まるで出張風俗みたいだな」って、思ったけど、俺は強く頭を振って、そういう不真面目な想像を振り払った。
 
 
待ち合わせ時間ぴったりにノックの音。俺はテレビのスイッチを切って、少し緊張しながら扉を開けた。
 
 
扉の向こうで真っすぐに女は立っていて、しっかりと俺の目を見てから軽くお辞儀をした。
 
 
「柴田さんですね」
 
 
「はい。そうです」
 
 
マスクで口元が隠れているので全体の顔の表情はわからないが、目元を見るだけで美人であることは想像できた。髪はポニーテールでまとめていた。女は想像していたよりは小柄できゃしゃな体つきだった。歳は二十歳後半くらいだろうか、黒いズボンの上に白衣を着ていて、その姿からは、やはり女医を思わせる雰囲気があった。
 
 
「中に入らせいただきますね」
 
 
女は部屋の中に入ると、バッグを床に置き「では、こちらにうつ伏せに寝てください」と、言うと、手際良くバッグの中からタオルを出してベッドの上にそれを敷いた。
 
 
少し無愛想だと思った。淡々と、ただ、職務を遂行するだけなのか。まあ、それも仕方ない。下手な口を聞くと男に変な気をもたれても困るから、いつもこうしているのだろう。
 
 
「通常は女性専門なんです」
 
 
「え?」
 
 
そんなことは聞かされていなかった。
 
 
「え?そうだったのですか?じゃあ、どうして?」
 
 
「山本さんからの紹介だったからです。山本さんには、とてもお世話になったので」
 
 
「山本さんというのはカラオケボックスの社長さんのことですよね。でも、その人も男ですよね」
 
 
「女性ですよ」
 
 
「え?」
 
 
カラオケボックスの社長は、男とばかり思っていた。女性専門なのに、俺のようなおじさんを診るのは嫌だろうな。少し申し訳ない気がした。
 
 
「じゃあ、早速ですが、顔を真っすぐにしてください。背中を触りますね」
 
 
「お願いします」
 
 
女の手が背中に触れた。やさしく力を入れて頸椎から下に手をゆっくりと移動して、第二腰椎のあたりでその手を止めた。
 
 
「お電話で言われたように、椎間板ヘルニアがあるってことですが。ここですよね」
 
 
「そうだと思います」
 
 
 そして、足を曲げたり、伸ばしたり、仰向けに寝たりと、いくつかの簡単なチェックを行った。
 
 
「確かにあなたはヘルニアがあると思いますが、このひどい腰痛や坐骨神経痛は、そのヘルニア以外の別の要素が大きな原因となっていると思います」
 
 
「ヘルニア意外の大きな原因とは?」
 
 
「腰痛というのは心の病が大きく関わっていることが多いのですよ。例えばそれは心の奥底にある怒りとか、悲しみとか」
 
 
「そうなんですか?でも、自分は確かに椎間板ヘルニアがあるから、それが腰痛の原因ではないでしょうか?」
 
 
腰痛の原因に心の要因があると言われたのは初めてだった。興味深い話だ
 
 
「例えば、ヘルニアを持っている人でも痛みがない人がいます。ヘルニアが飛び出していることに問題があるというよりは、そのヘルニアが炎症を起こすことで神経に痛みが起こります。ヘルニアが神経に触れていても痛くないときは痛くないのです。問題は炎症です。要は、その炎症を引き起こしている原因が何なのかということなのです。もちろん、長いヘルニアの圧迫により神経の炎症が起こるのかもしれません。ですが、わたしは、心の問題が炎症を引き起こしていることも多いと考えているのです。精神的なストレスが痛みを増幅させたり、あるいはストレスからくる免疫力の低下により痛みを抑えきれなくなっていると考えています。私が今から行う治療は、ただ、マッサージするだけではなく、あなたの心の中にも触れて行きます」
 
 
治療が始まった。女は俺の座骨神経の位置を確認しながら、背中や腰、尻や太腿のツボを指で圧した。そして俺にいくつもの質問を投げかけた。
 
しかし、その質問は腰痛とは関係がないような、生い立ちや、考え方への質問だった。俺はそういう質問にも真面目に答えた。彼女は「うん、うん」と頷きながら、俺の話を真摯に聞いてくれた。
 
質問をして俺の答えを聴き、さらに深くそのことを問い、あるいは自分の経験や考えを述べた。
 
その中で、俺は今までにあった苦しかったこと、悲しかったことをさらけ出す事になり、しまいには、自分より随分と歳が若いと思われる女の前で涙まで流すこととなった。彼女は俺の心の奥にある、苦しみや悲しみ、怒りや屈辱を引き出す事ができた。
 
こういうことは家族にも話せないことだが、彼女はそれを俺の心から引き出すことができた。
 
仕事のこと、家族のこと、誰にも言いたくない醜い心。彼女には、そのすべてを話すことができた。
 
自分でもおかしなくらい、これほどにも心の中に汚れたものを抱えていたのだと知った。
 
潜在意識の中に潜んでいる俺の心の影。俺はまるで子供のように涙を流しながらすっかり吐き出した。
 
彼女は、俺の背中をさすりながら、その話を訊いてくれた。まるで、彼女は彼女自身の体の中に、俺の汚れた心のくずを吸い込んでくれたかのようだった。
 
 
「治療はこれで終わりますね」
 
 
 約二時間の治療は終わった。二時間というのは、かなり長い治療時間だ。
 
 
「それでは、静かに立ち上がってください」
 
 
 俺はベッドから足を出して、ゆっくりと立ち上がった。
 
 
「痛みはどうですか。少し歩いてみましょうか」
 
 
俺はそろそろと足を出した。痛みはなかった、俺はドアのところまで歩いて、またベッドまで引きかえした。痛みはなかった。いや、痛みがまったく消えていた。
 
 
「痛みはないです」
 
 
俺はそう言いつつも、時間がくると痛みが戻ることもあるかもと思った。
 
 
「今度はもう一度座ってください」
 
 
俺はベッドに座った。
 
 
「立ってください」
 
 
痛みはなかった。
 
 
「先生、不思議です。まったく痛みがありません」
 
 
「腰痛の原因となる心の痛みがとれたからだと思いますよ。もちろん、体のツボの治療も行いましたから」
 
 
魔法のようだった。まったく痛みが体から消えていた。
 
 
「先生、後から痛みがぶり返すってこともありますか?」
 
 
「そのようなことはあるかもしれませんし、ないかもしれません。ただ、時間が立てば、あなたの心の要因が腰痛を作ってしまうことはあるかもしれません。でも、しばらくは腰痛になることはないと思います」
 
 
彼女は自信を持って答えた。
 
 
「ただ、柴田さんと話をしていてわかったことは、あなたは特に仕事や、仕事を取り巻く様々な状況によって腰痛を引き起こしています。今の仕事は大好きだと思うのですが、その仕事から逃げ出したい、その仕事から離れたいという思いも強いのです、それはあなたのジレンマやストレスが原因です。もっとこうしたい、ああしたいという思いが時間や体力、様々な問題からできないことのジレンマやストレスが、あなたの腰痛を大きくしたのです。だから、あなたは、これから仕事に関わって行く上で、もっとやりたいことをやるべきなのです。それは仕事だけではなく、日々の生活にも言えることです。あなたはもっと、自分の思う道を生きる必要があるのです」
 
 
言い終わると、彼女はマスクをとった。マスクをはずすと、小さい鼻と薄い唇が現れた。想像していたよりも愛嬌のある顔つきにほっとした。何より笑顔が良かった。
 
 
整体というよりはカウンセリングの要素が強かったが、治療は俺の腰痛を消してくれた。
 
 
やはり、その治療は魔法だった。
 
 
「もし、今後、この治療のことで問題があれば、いつでも連絡してください。木のおもちゃを作る仕事、素敵なお仕事ですね。いいもの作ってください。コマ撮り映画も期待していますよ」
 
 
そういうとニコリと笑って名刺をくれた。その笑顔は俺の心の弱い部分にやさしく触れる。俺の胸は熱くなった。俺は治療の間に、彼女に惹かれてしまっていたのだ。俺の腰痛を消してくれた女。名刺には桜木舞と書いてあった。
 
 
桜木舞が出て行ったホテルの部屋の中で、彼女の余韻にひたった。
 
 
その晩、俺は、桜木舞のことが頭から離れなかった。夢の中で彼女は俺の背中をやさしくさすってくれた。
 
 
 
 
それ以来、俺は腰痛に悩まされることはなくなった。腰痛になる気配すらなくなった。俺は日々、木製品の製作に追われた。腰痛のときよりも2倍働ける気がした。
 
 
俺の作る商品は木のおもちゃと雑貨。あまり利益の上がらない仕事だが、もう十五年も続けている。
 
小さな木のおもちゃ屋さんから、高速道路のサービスエリア、道の駅、デパート、美術館、様々なところで商品を扱ってもらっているが、手間ひまがかかるため、なかなか思ったような利益は得られない。
 
でも、たくさんの木工家が廃業する中で、こうやって木の仕事を続けられていることは運の良いことだった。
 
 
俺はずっと木のおもちゃを作る仕事を中心にやってきたが、数年前から木の人形作りにも興味を持った。
 
その人形はコマ撮り映像を撮るための人形で、映像の世界で、彼らを動かすことが楽しくなったのだ。
 
だが、ずっと、その製作作業も中断している状況だった。人形作りに没頭すると、日々の収入に影響を及ぼすのではという不安が一つの理由で、そうなるのを恐れていた。
 
 
俺は桜木舞の言葉を思い出した
 
 
『これから仕事に関わって行く上で、もっとやりたいことをやるべきなのです』
 
 
先日、彼女が言った言葉。そのことが腰痛のストッパーになるようだ。腰の調子が良く、今まで二倍は働ける自信ができた。
 
それなら、早速、新たな人形作りをして、そのコマ撮り映像を再開しみようと思い、早速、人形作りにとりかかることにした。
 
やりたいことをやるべきだ。
 
 
俺は女の人形を作ってみることにした。
 
 
今までに人形は数体通っている。全長三〇センチほどの人形だが、実際にそれらの人形を使って短編映画も作った。まだまだ未熟な技術ではあるが、映像作品ができたときには将来の可能性を感じた。
 
 
これを機に俺は新たな人形を作り、コマ撮り映画の二作目に挑戦してみようと決意した。
 
 
その日から俺は、通常作業を夕方に終えて、夜は人形作りに集中した。
 
 
数日後、一体の人形が完成した。女の人形だ。人形はどことなく桜木舞に似ていた。似せるつもりはなかったが、彼女への思いがそうさせたのだろうか。ただ、人形は白衣姿ではなかった。
 
人形はワンピースを着た歌手がイメージだった。
 
 
 
人形を作ったことで、俺は桜木舞に、もう一度お礼が言いたくなった。彼女の名刺を取り出して電話をした。だが、桜木舞は電話に出なかった。電話の呼び出しは一〇回ほどなると留守番電話に切り替わったので、俺は先日のお礼と名前を録音して電話を切った。
 
 
 
一時間後くらいだと思う。俺の携帯電話が鳴った。桜木舞の番号からだった。 だが電話の主は桜木舞ではなく、桜木舞の母親からだった。
 
 
「柴田さんですね。さきほど、お電話をされましたね。私は桜木舞の母親です」
 
 
少し嫌な予感がした。
 
 
「実は、舞は先月、交通事故で亡くなってしまったんです」
 
 
突然告げられた母親の言葉に声も出なかった。どうやら桜木舞は俺を治療した次の日に交通事故で亡くなったらしい。道路に飛び出してきたネコを除けて、単独事故。ガードレールを乗り越えて電柱にぶつかったとか。当たりどころが悪かったようだ。
 
 
それから数時間、俺は机の上に頭をうなだれて、ただ桜木舞のことを思い出していた。一度、会っただけだ。心を惹かれたと言え、一度会っただけだ。だけど、俺の心には大きな穴が空いたようだった。もう一度、会いたかった。
 
 
俺は作ったばかりの人形を手に取って、コマ撮り映画を完成させてやると誓った。それが桜木舞へのお礼になると自分に言い聞かせた。
 
 
コマ撮り映像というのは、少しずつ人形を動かして撮影するアニメーションだ。撮った映像の人形の口の動きに合わせて台詞を付けたり、音楽や効果音を入れて一本の映像を完成させる。
 
今回はバー(酒場)をイメージしたセットを作った。カウンターや椅子、テーブル、酒瓶やコップも木でこしらえた。そのバーの中での出来事を作品にするのだ。桜木舞に似た人形はマイと名付けた。このバーの歌手だ。俺に似た人形もある。俺はバーのマスターだ。
 
 
毎日、深夜まで作業を行った。40代半ばの年齢には、かなりきつい。でも、映画の完成を目指して夢中になっていると、作業はみるみる進み、一ヶ月後には、いつでも撮影できる準備が整った。
 
 
その日、俺はとても眠たかった。もう日が暮れて外は暗くなっていた。昼間は急な注文の納品に追われていて疲れていたから、納品を終えて工房に帰って来たら、少し眠気もおそってきた。俺はコマ撮り用バーのセットの前に座って、冷蔵庫から出した缶ビールを飲んだ。クランクインに乾杯だ。通常はこんなことはしない。工房から自宅までは車で帰るからだ。今日は工房に泊まっていこうと思った。
 
 
撮影のためのカメラを設置した。まずは、馬の人形のヒヒーンがバーに入って来るところを撮影しようと思っていた。とりあえず、ヒヒーンがバーの扉を開くシーンだ。三十秒ほどのシーンだが撮影には数時間はかかると予想される。今日は徹夜かもしれない。
 
 
俺はとても疲れていたから、ビールを三口ほど飲んだ頃、睡魔が頂点に達した。今夜の撮影はできないかも。とりあえず体を休ませようと思い、床に横になったら、すぐに眠ってしまったようだ。
 
 
俺はどれくらい眠ったのだろうか。よだれをたらしているように感じて、気持悪くなって目を開けた。俺は机の上に頭を横にして眠っていたようだ。
 
 
いや、そんなはずはない。俺は工房の床に寝ていたはずだ。俺は顔を上げた。これは机じゃない。バーのカウンターだ。
 
 
そう思った途端、目の前のバーの扉が開いて、馬の人形のヒヒーンが入って来た。
 
 
ああ、これは俺が撮ろうとしていたシーン。ヒヒーンは何も言わずにカウンターチェアに腰を降ろした。
 
 
「いらっしゃい」
 
 
隣から女の声がした。振り向くとそこに人形のマイが立っていた。
 
 
「ご注文があれば伺いますね」
 
 
マイはヒヒーンにそう言ってから、俺の顔を見つめた。
 
 
「柴田さん、大丈夫?眠りから覚めた」
 
 
「君は」
 
 
「お久しぶりです」
 
 
人形のマイが発するその声は、まさに桜木舞そのものだった。
 
 
「私です。桜木舞です。お電話をいただいたのに、あのときは電話に出なくて失礼しました」
 
 
これは夢なのか、それとも幻か。
 
 
「どうですか?腰の調子は?」
 
 
「君はいったい」
 
 
俺の頭はボーとしていた。俺はまずお礼を言わなければと思った。
 
 
「あのときはありがとう。すっかり腰の痛みは消えました。ありがとう」
 
 
「どういたしまして。治って良かったわ。あなたはこれからも、作りたい物を作れば良いのよ。そうすれば奇跡が起こるから」
 
 
マイはそう言うと、あのときの桜木舞のように笑顔を見せた。
 
 
「注文お願いします」カウンター越しにヒヒーンがマイを呼んだ。マイはヒヒーンところに駆け寄った。
 
 
「君の歌を注文したいんだ」
 
 
「歌ですね。わかりました。少々、お待ちください」
 
 
マイは俺のところに戻って来て「私、歌を歌ってきます」と言った。
 
 
「その前に、柴田さんにお礼が言いたいんです」
 
 
「お礼?」俺は何もしていない。
 
 
「私を作ってくれてありがとう。おかげで、私は木の世界でこうやって生きて行くことができます」
 
 
爽やかな笑顔だった。
 
 
「人は繋がっています。人だけでなく、動物も、物も、そう、私たち人形も繋がっています。私があなたの腰を治したのではないのです。あなたは、私を生み出すために、私に出会ったのです。そして私はあなたの心の病を治しました。それは腰痛の話ではありません。あなたの抱えていた心の病。目に見える物ではありません。ただ、それがあなたの腰痛として体に現れていたのです。すべては肉体が作りだす病気ばかりではありません。肉体の痛みに心が反応を起こして、痛みを増幅させ、あらゆる病気も生み出されるのです。心の中の怒りや悲しみを取り除くことで、病気を治す治癒力も生まれます。あなたは、好きな仕事に苦悩していました。その苦悩をずっと溜め込んで、体も心も弱っていました。もう一つ言っておきます。これは魂の問題ではありません。心の問題です。これはあなた自身の心の問題です。私の心の問題ではありません。魂の問題ではありません」
 
 
彼女が言っている事のほとんどを理解出来なかった。でも、なんとなくわかった気がした。マイは話し終えると歌うためにステージに向かった。
 
 
歌はやさしい歌だった。「人間に戻れるかな」って歌だった。ギターはドッグマンが弾いていた。
 
 
俺は「君はきっと人間に戻れる」と思った。人間に戻る事がよいことかはわからなかったけど、人間であることが良い事かもわからないけど、いつか人間に戻って欲しいと思った。
 
 
これは俺の心の問題だった。
 
 
マイの歌が終わる頃、俺は眠たくて仕方なくなった。
 
俺は最後に「マイ、ありがとう」って大声で叫ぶと、深い眠りに落ちた。
 
 
それから数時間後だと思う。俺は寒くて目が覚めた。工房の床が冷たかった。壁にかかっている時計を見ると四時を指していた。朝の四時だ。この時間はとても冷え込む。
 
 
立ち上がってバーのセットを覗き込んだ。バーのセットの中では、眠る前と変わらぬ様子で、木の人形達が静かに立っていた。
 
 
「夢だったのか」
 
 
俺はマイの人形を手に取って抱きかかえた。人形を強く抱きしめた。まるで人間のように。
 
 
だが、彼女は言葉を発することはなかった。
 
 
 
あれから二年が経った。俺は今、順調に仕事をしている。木のおもちゃの製作から木の人形を使ったコマ撮り映画まで、様々な仕事がいっぱいだ。実はあのとき作ったコマ撮り映画が大きな賞をもらったんだ。それが、俺の仕事の流れを大きく変えた。
 
 
あれから腰痛を感じることは一度もなく、体はすっかり調子が良い。これも、マイの治療のおかげだろう。
 
 
桜木舞のことをいろいろと考えてみた。もしかしたら、桜木舞は自分が死ぬことを知っていて、俺に出会ったのではないだろうかと。
 
いや、正確には桜木舞の魂が、そうさせたのではないだろうか。
 
彼女は俺と会い、そして俺は彼女の分身となる人形を作り出す。
 
そのことを彼女の魂が知っていたのではないだろうかと。
 
何故、俺を選んだのかは説明ができないけど、彼女は無意識の中で、人間の世界から次の世界に移るために俺という男に出会うことにしたのかと。
 
彼女はきっと、これからは、木の人形の世界で楽しく過ごしていくことだろうって。
 
これは、ただの俺の妄想か?
 
 
俺の撮った映像の中で、桜木舞はマイとして生きている。
 
これからも俺はマイを撮り続けるだろう。
 
それが彼女を生かすう唯一の手段であるから。これは俺の心の問題なんだ。
 
 
 
                           おわり