整体師と木の人形

いつきつくる

 わたしは何度も同じところを自動車で走っているようだ。
 
この墓地の前を通るのは、もう三回目のような気がする。
 
この辺は少し簡素な住宅街で、森の中に家が入り交じって建っていて、その景色がどこも似ていた。
 
予定外だったのは、わたしの安物のナビが圏外になってしまったこと。近くに高速道路が通っているが、それがナビの電波の邪魔をしているのであろうか。もう少しお金を出して精度の高い車載搭載ナビを購入しておけばよかった。
 
 わたしは自動車を道路脇に寄せて、冷静になって考えてみようと思った。
 
本当は三時頃には到着している予定だったけど、もう夕方の五時になってしまって、陽も落ちて辺りは暗くなってきた。
 
既に、数時間は自動車に乗りっぱなしだ。座っていれば痛みはさほど感じないけど、自動車から降りたら、きっと腰が固まっていて、あの嫌な重くだるい痛みがあるのだろうな。
 
 わたしは、インターネットの腰痛治療の口コミで評判が良かった城本整体クリニックを探していた。
 
しかも、わざわざ二時間もかけやってきたのだ。
 
誰かが歩いていたら、道を尋ねようと思ったのだけど、誰も歩いていない。場所を確認するために城本整体クリニックに電話を数回かけたが、なぜか話し中ばかりで、そろそろ、探すことを諦めたくなっていた。
 
 わたしは、お墓の横の細い道は、まだ通っていないことに気がついた。この道は、少し山の上の方に上がっていく道のようだ。とても細い道だけど、わたしの自動車は軽自動車だから問題ないだろう。
 
この道を通って見つからなければ、もう、諦めることにしよう。
 
そう思って、アクセルを踏み、お墓の横をゆっくりと曲がり、山の方に向かって真っすぐに上って行くと道はさらに狭くなってきた。
 
対向車が来たら大変だなと心配しながら、さらに車を進めると周りは木々でいっぱいになってきた。
 
もう、このあたりには家はなさそうだ。
 
このまま先に行っても山の中に入るだけで、目的の整体院はないだろうと思ったとき、「整体」と大きく書かれた看板が目に入った。「お!」と思い、その看板のところまで自動車を走らせて停めた。
 
 しかし、残念ながら、看板には「目黒整体」と書いてあり、わたしが目指していた城本整体クリニックではなかった。
 
 この目黒整体は、かなり古びた建物で、入り口横には「腰痛、座骨神経痛、冷え性」などと書いてある。
 
営業はしているのだろうか?
 
駐車場には自動車が3台ほど止められるスペースがあり、軽のワンボックスカーが一台止まっていた。これは、この治療院の主のものであろうか。
 
わたしは、少しためらいつつも、自動車を駐車場にバックで止めた。
 
わたしは、せっかくここまで来たのだから、ここで、治療してもらおうかなと思いはじめていた。
 
もしかしたら、この目黒整体にも名医がいるかもしれない。
 
 車の中から整体院を覗き見て様子を伺ったが、そこからは大した情報を得る事はできなかったので、決心して車から降りる事にした。
 
わたしは腰痛が痛まないように、おそるおそる車から降りたが、やはり、腰が固まって痛い。
 
「はあ」とため息をついて、這うように助手席からカバンを引っ張りだした。
 
 わたしが初めて腰痛になったのは二十四歳のときだ。アルバイト先のうどん屋で食器を洗っていると、急に腰ががくんとなって、そのまま立てなくなってしまった。
 
いわゆるギックリ腰だ。
 
最初は、これが「噂のギックリ腰だ」なんて感心したりしたが、これが予想以上に長引くと知ったら、焦ってしまって、早く完治させなければと思った。
 
また、若い女性のギックリ腰が、恥ずかしい気持でもあった。とりあえず安静にしてベッドに寝ていたけど、二日寝ても様態が変わらないから、母の運転で近くの整体に行った。そしてまた二日後に鍼に行き、それでも治らないから、今度はカイロプラクティックに行った。結局、大きく効果が得られたかはわからないまま、家で寝ていたら、だいたい二週間くらいで回復した。
 
 それ以来、腰はなんともなかったけれど、就職して仕事に慣れて来たと思った矢先に、またギックリ腰だ。
 
とりあえず、四日休んでから無理して仕事に行ったけど、あれから、もう三週間が経つというのに、腰の違和感がひどくて、ずっと苦しんでいる。
 
なんとか、良い方法はないかと思い、インターネットで腰痛情報を調べていたら、城本整体クリニックというとても評判の良い整体院に行き着いた。
 
ホームページやブログはなかったので、口コミ情報のページが頼りだった。
 
わたしは、城本整体クリニックを求めて、二時間かけてやってきたのに、結局、辿り着けなかった。
 
いったい、どういうことなのだ。その代わりに見つけた目黒整体。ここは、わたしの腰痛を治してくれることができるのだろうか。
 
 近くで見ると、目黒整体の建物は思った以上に老朽化していた。
 
入り口のアルミの建具も、少し歪んでいるようだ。見た目が悪いと治療内容も大丈夫かなと不安になるが、幾ばくの可能性にかけたわたしは、不安な気持を抑えて、その歪んだアルミの扉を引いて中に入った。
 
 中は静かで薄暗かった。受け付けのような窓口もあるのだけど、そこには誰もいないようだ。下駄箱にはサンダルと男物の靴が2足、傘立てには透明のビニール傘が2本立っていた。木製の廊下が奥に伸びていた。
「すみません」と声を上げたが返事がない。もう一度「すみません」と言うと、廊下の奥の方から「はい」という声がした。
「はい、ちょっとお待ちください」少し太い男の声だ。ガラガラガラと奥の部屋の引き戸が開き、みしみしと木製の廊下を踏みしめる音をたてながら、近づいて来た男を見たとき「しまった!」と心の中で叫んでいた。
 その男は背が低い小太りの中年で、髪は黒々として七三に分けていた。右の眉の斜め上に大きなホクロがあった。ポロシャツにメンパン姿は、余暇のおじさんと例えるにふさわしい。苦手なタイプだ。薄笑いを浮かべた四角くごつい顔は、政治家の誰かに似ていた。そして目が異様に鋭かった。わたしはもっとイケメンの若い男が出て来たら良かったのにと思い、このまま後ろを向いて帰ってしまいたかったけど「腰痛の治療ですか?」と男が言ったので。思わず「はい」と返事をしてしまった。
「スリッパを履いてお上がりください」
 男は下駄箱の上からスリッパを掴んで、投げるようにそれを廊下に置いた。もう帰れないなと思い、仕方なしに、わたしはスリッパを履いた。わたしがスリッパを履くのを確認すると「どうぞ、こちらです」と、男は廊下の奥にわたしを案内した。手前の部屋を通り過ぎて、一番奥の部屋まで来ると、男はガラガラガラとすりガラスの引き戸を開けた。
「どうぞお入りください」
 部屋の中を見ると診療用のベッドが目に入った。木製の壁にはカレンダーがかかっていた。部屋に足を踏み入れたとき、ふと左側から人の気配を感じたので、そちらを振り向いたわたしは、思わず「わ!」と声を上げてしまった。そこにいたのは人ではなくて、白衣を着た大きな人形だった。
「ははっは、驚きましたね。皆、これを見ると驚くのですよ」男は大きく笑って、楽しそうに言った。
「これは、私が作った木の人形なんです。本物の人間みたいでしょう。背の高さは百七十センチくらいあるのですよ。よく、病院に行ったら、人体模型があるでしょ?あれと同じような物ですよ。はははは」
 その等身大の人形は、本物の人間みたいに精巧に作られていて、よく見ると木で出来ているのがわかる。しっかりした顔立ちで髪の毛も木で作られていた。わたしは、このような人形をこの部屋に置いている意図が読み取れないが、男が言ったように、これは人体模型と同じような物で、治療を説明する上で必要な人形なのかもしれないと思った。
「すごいですね」と、とりあえず感想を述べると「いやあ、気に入ってくれましたか。それは、うれしいです」と、男は満足げに笑ってみせた。別に気に入ったわけではないよと思ったが、それ以上は何も言わなかった。
「まあ、荷物をここに置いてください」男は床に置いてある籐籠を指差した。そして「とりあえず、おすわりください」と続けた。わたしはカバンを籐籠に入れると、ベッドの横にある椅子に腰掛けた。男も、わたしの正面に椅子を置いて、そこに座った。
「ええと、今日は、どうされました?」
 太い声でゆっくりと話すのがこの男の特徴だ。
「腰痛を診てもらいたいのですが」
 わたしがそう言うと、男はわたしの顔をじっくりと見つめて、しばらく何も言わなかった。何かを探っているかのようだ。男のホクロの大きさは一センチほどあり、そこから毛が生えていた。中国では、ホクロから毛が生えると、縁起が良いとされていて抜かないらしいと、先日見たテレビのバラエティ番組でホクロについて取り上げていたことを思い出した。
「ええと、お名前をお訊きしてもよろしいですか?」
「山本と言います」
「山本さんね。年齢は?」
「二十七歳です」
「どれくらい前からですか?」
「え?」
「腰痛になったのは、いつ頃ですか?」
「三週間くらい前にギックリ腰になってしまって、それから腰の調子ずっと悪いのです」
「ははは。若いのにねえ」
 いちいち笑う事はないだろうに。無神経な奴だ。やっぱり帰りたいと思ったが、ここまで居て、今から帰ると言う度胸はない。
「腰痛は初めてですか?」
「いえ、三年前くらいにギックリ腰をしたのが最初です」
「ほお、三年くらい前に」
 とにかく。この男はずっと薄笑いを浮かべていて気味が悪い。
「それから、ほとんど、腰痛はなかったのですが、それが、また、急にやってきまして」
「ほお、なるほど。腰のどのあたりが痛いですか」
 わたしは椅子から立ち上がって、背中を向けて、腰痛の痛い箇所を手で示した。
「このあたりです」
「ちょっと、ごめんなさいね」そう言うと、男は、その痛む箇所を指で圧した。「このあたりが痛みますか」
「もう少し下です」
「ここですか?」
「痛いです。そこです。そのあたりです」
 男の指が、ちょうど痛みのツボにはまった。
「わかりました。それではベッドに横になってもらえますか。うつ伏せに寝てください」
 男は立ち上がり、引き出しからタオルを取り出して「これを顔の下に敷いてください」と私にタオルを渡した。
 わたしはうつ伏せになると、ベッドは清潔なのかと、シミや汚れを探してしまったが、それほど不潔ではなさそうだ。うつ伏せの常態で少し斜めを見ると、さきほどの等身大の木の人形が目に入った。人形の目線がちょうど、わたしの顔のあたりにあり、なんだか見られているようで、薄気味悪かった。
 わたしが人形を気にしているのがわかったのだろうか、男は、人形のそばに行き、人形の肩を触った。
「ちなみに、この人形はスティーブンという名前なんです。ははははは」男は、また太い声で大きく笑った。
 へえ、名前があるんだ。スティーブンか、なんでスティーブンなんだろうと、真面目に考えてしまった。
「それでは治療に入りますよ」
 男はそう言うと、わたしの背中や腰のあたりを圧し始めた。ぐ、ぐ、ぐ、と丁度良い加減でツボを圧す。意外な気がしたが、なかなか、この男は指圧が上手なのではないかと思った。
「このあたりは痛みますか?」
「はい、そこも少し痛いです」
「腰のツボはねえ、素人がやたらと圧したら、危ない場合もあるのですよ。わたしも、この道三十年ですが、そりゃあ、たくさんの腰痛の人を診てきました。
前はねえ、もっと街の中で、開業していのですがね。ここで暮らしていたわたしの親父が死んでね、引っ越して来たんですよ。まあ、ここだと家賃はただってのもありましてね。ははははは」
「へえ、そうなんですか」
 わたしは、もともと、あまり会話が得意なほうではなかったので、特に他の言葉も言い出せず、ほとんど相槌のような返事しか言えなかった。
「お仕事は何をされているのですか?」
「役場に勤めています」
「役場ですか。そりゃあ良い仕事だ。事務仕事ですよね?」
「はい」
「実はね。立っているよりも座っていることの方が、腰痛には悪いのを、知ってますか?」
「そうなんですか」
「人間の体は、そもそも、座るようには作られてないのですよ。はははは」
 何故、こうもいちいち笑うのだろうか。
「さて、次は仰向けになってください」
 私は体勢を入れ替えた。
 「足を上に上げてみますね」
 男は右手で足首を持って、左手を膝のあたりに添えて、何度も曲げたり伸ばしたリを繰り返した。
「痛いですか?」
「いえ、大丈夫です」
 それでは、骨盤のゆがみを矯正していきます。少し、荒っぽいですが、我慢してくださいね」
 男はそういって、ぐっと力をいれた。
「痛!」
 わたしは思わず声を出してしまった。
「はい、終わりましたよ。次は左足です」
 だいたい三十分ほどの治療だっただろうか、かなり手慣れた治療で手応えを感じた。男は最後に、立つように指示し、わたしに腰を数回ひねらせた。
「さあ、これで大丈夫です。終わりました。ははははは」
 どうやら、これで治療が終わったようだ。
 わたしは少し部屋の中を歩いたり、しゃがんだり立ち上がったり、いろいろと試してみた。
「あれ?」それが、驚く事に、わたしの腰の痛みはすっかりなくなり、軽くなっていたのだ。
「先生、痛みが消えています。すごいです!」
 わたしは、腰痛が消えたことで、かなり興奮してしまった。なんということだ。この男は名医だ。人間は見た目では判断できない。薄気味悪いなどという感情を抱いたことを申し訳なく思った。
「先生、ありがとうございました。こんなにすっきりと腰の痛みが消えるなんて、驚きました。本当にありがとうございます」
「いえいえ、わたしは、ただ、必要な治療をしたまでです。ははははは」
「いろんな整体や鍼などに行きましたが、これほどまでに効果があったのは、初めてです。本当にありがとうございます」
 わたしは、出来る限り気持を込めて、感謝の言葉を述べた。
「お代金はおいくらいになりますか」
「お金は、いいですよ」
「え?」
 何を言っているのだろうか。治療費はいらないなんて、いったいどういうことなんだ。
「先生、それは困ります。おいくらになりますか?」わたしは、カバンから財布を取り出して、お金を出そうとした。
「お金はいりません。そのかわりに一つお願いがあるんです」
「はあ?」
「実は、わたし、腹話術をやっておりましてね。お金はいらないので、わたしの腹話術を見てもらいたいのですよ」
「腹話術ですか?」
「はい。腹話術です」
 やはり、この男は少し変わっているのだろうか。わたしは、早く治療費を支払って、ここから出て行こうと思った。
「いえ、もうだいぶ時間が遅いので、そろそろ帰らないといけませんので。母も心配しているかもしれませんので。ええと、治療費は五千円くらいですか」
 財布を開くと五千円札が入っていたので、それを取り出そうとしたら。
「ふざけるな!このアマ!」男が怒鳴った。
「え?」
 突然の怒鳴り声だったので、わたしは驚いて男を見た。
 男は相当な怒り顔でこちらを睨みつけて「五千円だと、腰を治してやったというのに、それくらいで済むと思うなよ、オラ!」ドスをきかせて再び私を怒鳴りつけた。
 わたしは咄嗟に身の危険を感じ、一万円札を財布から出して、ベッドの上に置き捨て部屋の出口に向かおうとしたが、男に手首をつかまれ引き戻された。そして、男は鋭い目でわたしの顔を睨みつると、大きく手を振りかぶってわたしの顔を殴りつけた。
 いきなり殴られて訳がわからなかった。わたしは殴られた痛さを感じるよりも、呆気にとられてしまっていた。
「こら、逃げようと思ってもそうはさせないぜ!」さらに男は、わたしの手首を引っぱり、椅子に座らせようとした。男の力は強く、手をふりほどこうとしても、まったくびくともしなかった。女のわたしの力では無理なようだ。わたしは、なすすべもなく椅子に座らされた。
「逃げたら、殺すぞ!オラ!」男は大きく声を荒げてから、椅子を蹴飛ばした。
 いったい、何が起こっているのだ。わたしは、この一連の顛末がまだ良く理解できないまま、椅子から立ち上がれなくなった。目の前には怒りを露にした異常な男が立っている。わたしは呼吸が荒くなり汗も出て来た。そして、ぶるぶると体が震えだした。
 怒りを露にした男は、一転して笑顔を見せると「二十分でいいんです。わたしの腹話術を見てやってください。スティーブンとの腹話術を」と、おだやかな口調で言った。
 わたしは何も言わずにただ震えていた。
「返事しろ、アマ!おまえは返事の仕方もしらねえのか!」
 男は、また豹変して、わたしの頬を強く殴った
 わたしは痛さと苦痛で顔をゆがめて、男を睨みつけた。
 男は「すまないね。殴ってしまって、あんたが素直にわたしの腹話術を見てくれるなら、もう、殴ったりはしないよ」と、また、おだやかな口調で言った。
 おそらくわたしは鼻血が出ていた。口元も切れているかもしれない。目が腫れてしまっているようだ。目の腫れと涙で、男の顔が醜く歪んで見えた。
「じゃあ、わたしの腹話術を見てくれるかい?」
 わたしは、もう、これ以上殴られたくはなかったので「はい」と、素直に返事をした。男は、そのわたしの態度に満足したのか、満面の笑みを浮かべながら「おおお、これはありがたい」と言い、ベッドを壁際に寄せて、わたしを椅子ごと移動させ、奥に置いてあった人形と向かい合わせにした。人形との距離は三メートルくらいで、ちょうど、腹話術を見るのにふさわしい距離を取ったようだ。
「念のためロープで縛らせてもらうよ」
 男はそう言うと、引き出しからロープを取り出して、椅子の背もたれに、わたしをぐるぐる巻きに縛り付けた。
 ああ、もう、わたしは逃げられない。
 男は人形の左側に立つと「ここで腹話術を、やりますからね」と念押しして、「なかなか面白いですよ」とさらに付け加えた。
「実は、わたしの父は木工家をやっていたんですよ。この裏には工房がありましてね。そこには、まだ、そのときの機械があるんですよ。カンナとかノミとか、そういう道具もありますしね。わたしは、木工にはまったく興味がなかったんですが、父が死んでから、自分の老後の趣味になるかと思って初めてみたんですよ。それが、思った以上に楽しくてね。それからはまってしまって、本業ほったらかして木工三昧ですよ。コンテストに応募して大賞をとったこともあるんですよ。ははははは。ちょっと作品を見せてあげますね。隣の部屋に置いてあるので、持ってきます」
 男は一旦部屋を出ると、すぐに大きな木製品を抱えて部屋に戻って来た。それは木製の自動車だった。
「これは仕掛けがありましてね。ほら」
 男は木製の自動車の屋根の部分をはずすと、次々に扉や座席などをはずした。そして、すべて分解すると、今度は組み立て始めて、数秒後には自動車が飛行機に変わっていた。
「どうです。すごいでしょう。これは五年前くらいに大賞をとった作品なんです」
 確かに凄かったが、今のわたしは、その凄さに感動する状況ではない。ましてや、いくら凄くても、わたしを殴るこの男を賞賛などできるわけがない。
「実は、三年ほど前にね、妻を亡くしましてね。突然、動脈瘤が破裂したんですよ。即死でした。それで、わたし、寂しくなってね。人形を作ってみようと思いました。このスティーブンが、そのときを作った人形なんです。はじめは妻に似せた人形でも作ろうかと思ったんですがね、それも、ちょっと、なんだか照れくさくて。それで、このスティーブンを作ったのです。なかなか良い男ですよ、スティーブンは」
 男は、スティーブンの肩をぽんぽんと叩いた。
「わたしは妻を亡くした寂しさを紛らわすために、腹話術を覚えようと思いましてね。腹話術教室にも何回か通ったんですよ。まあ、でも、なかなか腹話術は難しくて上手くはいきませんが、ときどき、こうやって、整体の患者さんに腹話術を見てもらうことにしているんです」
 わたしと同じように、ここで監禁された人間が他にもいるのだろうか。まさか隣の部屋に死体があるとか。
 男は、左手を人形の背中のあたりに入れた。そして、何やら操作をしているのであろう。人形の首が左右に動いた。本当に人間のようだ。
「さてと。それでは、はじめますか」
 男は、足下に準備したCDデッキの再生ボタンを押すと、そのスピーカーから、どこかで聴いたようなジャズのメロディだが流れ出した。
「さあ、はじまりました。目黒とスティーブンの腹話術ショーだよ~」男は、まるで見世物小屋の呼び込みのように、右手を大きく上げて、堂々と台詞を発した。
「さあ、ご覧ください」。
 わたしは、とにかく見るしかないと覚悟した。もう、これ以上殴られるのはごめんだ。さらに言えば、殺されたくはない。最後まで、この腹話術ショーを見れば、解放されるかもしれない。
「こんにちは~。わたしは目黒のおじさんだよ」男がそう言うと、人形のスティーブンが喋りだす。
「はい、わたしはスティーブンです」
 スティーブンの声は裏声を使っている。
「スティーブンはおいくつですか?」
「僕はね、三歳です」
「三歳?三歳のわりには老けた顔してるね~」
「三年前に作ってもらったんです」
「へえ~三年前に作ってもらったんや」
「おまえが作ったんや!」
 スティーブンの声をやるときにも男の口が動いているがわかる。腹話術としては未熟だ。しかし、未熟な腹話術であるにも関わらず、堂々と演じている。
「じゃ、職業は?」
「職業?う~ん、なんて答えたらいいんやろな?」
「そやな、なんて答えたらいいんやろな」
「わかった!人形や!」
 内容などほとんど頭に入らなかった。とにかく男の芸に感心を持ってるように振る舞うだけだ。
 男はたった一人の観客を前に気持良さそう巧みに人形を操り腹話術を繰り広げた。ときどき、わたしの様子を探るように視線を移し、その度にわたしは緊張した。
 しかし、不思議なもので、それほど上手でもない腹話術なのだが、ずっと見ているうちに、人形のスティーブンが本当に喋っているような錯覚が起きて来た。それは、その人形を動かす技術によるものだろう。この等身大人形は本当に良く出来ていて、目は上下や横にきょろきょろと動き、眉毛も上がったり下がったりと表情も豊かだ。この目黒という整体師の男はきっと凝り性で、木工の技術はかなりの才覚があるに違いない。いや、木工だけでない、整体技術においても、かなりのものだろう。なぜなら、わたしの腰痛を消してしまったのだから。だが、この狂気じみた行動。暴力。まともじゃない。没頭するがあまり、他者への思いやりとか、他者への配慮とか、善悪さえもわからなくなってしまったのかもしれない。とにかく今は、この男の機嫌を損ねぬように、この腹話術を最後まで見ることで許してもらうしかないのだ。わたしは何も悪いことをしていないのに、この男の許しを得るしかここから抜け出す事はできないのだ。いや、もしかしたら、最初にこの男を外見で判断し、少し気味が悪いと思ったその心の隙間に悪魔が入り込んだのかもしれない。人を悪く思う心は、人に悪く思われる心を呼び起こす。
「殺してくれ!」
 スティーブンの叫び声で我に返った。殺すって何?
「おまえは、殺したって死なないんだよ」
 ショーの台詞のようだ。
「え?どうして」
「だって、人形だから。はははははは。ありがとうございました~」
 男は右手を大きく上げて頭を下げた。どうやら、腹話術ショーは終わったようだ。わたしは安堵感と共に疲れをどっと感じ、ぐったりとして椅子に身を任せた。この後、男はわたしに、どのような対応を取るのだろうか。
「どうでしたか?」男が満足げに微笑んで、わたしに感想を求めた。
 わたしは、ただ祈りをこめて「とても、おもしろかったです」と答えた。その瞬間、男は不機嫌に顔を曇らせた。わたしは、固唾を飲んだ。男は数秒感の沈黙の後、にっこりと微笑んで「そうでしたか。気に入っていただけましたか」と、言うと、今度は大声を出して笑いながら、わたしに近づき、椅子にしばりつけていた縄をほどいた。
「立ちなさい」
 男はわたしの右手を支えて立ち上がらせた。ああ、よかった。このまま助けてもらえるのだな。
「今度は君の番だ」
 男は意外な言葉を口に出した。わたしは思わず聞き返した?
「え?」
「今度は君が腹話術をやる番だ」
「え?」
 わたしは、もう一度、聞き返した。
「今度はおまえの番だと言っているだろう!このアマ!」男は声を荒げた。
「帰してください!」
 そう言った途端、また、頬を強く殴られ、顔面に衝撃が走った。足がよろめき、わたしは床に転げて這いつくばった。
 こいつは鬼畜だ。わたしは男を睨みつけた。
「立ちなさい」
 男は無表情で右の眉毛を上げた。
「早く立て、アマ!」
 大きな怒鳴り声は、わたしを素早く立ち上がらせた。
「さあ、そこに立て」
 わたしはスティーブンの横に立たされた。
「さあ、やってごらんなさい」今度はおだやかな口調だ。声を荒げたかと思えば、おだやかになったり、いったいこの男は何なのだ。わたしは、怒りと屈辱でいっぱいになり、軽蔑の気持を露にして、男を睨みつけた。
「さあ、やりなさい」
「いやです」
 また、頬をぶたれた。今度は倒れなかった。
「やりなさい」
「いやです」
「やりなさい」今度は髪をつかまれた。
 わたしが無言でいると、男はしばらく何も言わずに薄笑いを浮かべてわたしを見ていた。そして大きく「ははははは」と笑うと、床に落ちていたロープを拾って、わたしの両手を背中側で縛り上げた。さらに、足首を縛り、胴体をぐるぐる巻きにした。次にガーゼのようなものを棚から取り出して、わたしに猿ぐつわを噛ませた。そして、わたしの尻のあたりを蹴飛ばした。蹴飛ばされたわたしは床に転げ落ち、頭を強く打って意識が朦朧とした。しばらく男は部屋の中をうろうろ歩いていたが、大声で「この豚やろう!」と叫んだ後、しゃがみ込んで、わたしを肩に担いだ。しゃらしゃらと金属がぶつかり合う音、ガラガラと引き戸が開く音。みしみしと廊下を歩く音。男はわたしは抱えたまま外に出て行く。
 もう外は真っ暗で、あたりは静まりかえっていた。風が冷たく感じられた。ワンボックスバンのスライドドアの開く音が聴こえて、わたしは荷台に放り込まれ、ドアが閉められた。
 運転席の扉が閉まる音。エンジンの音。そして車は発進した。男は何も喋らずに車を運転していた。しばらくして、車の振動が激しくなった。路面の常態が悪いようだ。ときどき大きく弾むたびに、わたしは荷台にぶつけられる。男はわたしをどこに連れて行くのか。わたしは、このまま殺されてしまうのだろうか。もう、半ば死を覚悟していた。
 数十分くらい経った気がする。自動車が停まり、激しくスライドドアが開くと、男はわたしを車から引きずり出し、再び肩に担いだ。そして数歩歩いたかと思う。男はわたしを放り投げた。わたしは地面に叩き付けられ、ゴロゴロと斜面を転げ落ちた。おそらく崖から放り出されたのだ。石や枝が肌にめりこみ痛くてたまらなかった。わたしは、ただなすべもなく転がり落ちると、何かにぶつかって、ようやく止まった。落ちた衝撃で体が激しく痛かった。縄はしっかりとわたしの体を締め付けていて、もがいたが縄がほどけることはなさそうだ。わたしは達磨のようにされて、ただ捨てられたのだ。おそらく、ここは山の中だ。どこかの林道から崖に放り出されたのだと思う。わたしは血が混じった唾液を吐き出した。このまま衰弱して死んでしまうのだろうな。そう思っていると、意識が遠のいていった。
 
 
 
「大丈夫ですか」
 誰かが遠くで呼んでいる。
 救急車のサイレンが微かに聴こえた。
「聴こえますか?」
 肩のあたりを揺すられる。
「聴こえますか」
 わたしは瞼を開けようとするが、重たくて開く事はできない。うっすらと人の輪郭が見えた。
「大丈夫ですか」
 わたしは、また、意識が遠のいていった。
 
 気がついたらベッドの上で点滴を受けていた。きっと、ここは病院だと思う。しばらくして看護師がやってきた。ここは、やはり病院なのだ。看護師は、わたしの意識が戻っているのを確認すると、慌てて部屋を出て行き医者を連れて来た。どうやら、わたしは助かったのだ。
 医者の診察から一時間ほどすると、今度は刑事が二人やってきた。中年の男と、二十代くらいの若い刑事だ。わたしは普段は誰も通らないような場所で倒れていたようだ。わたしは運が良かった。たまたま森林調査のために山に入った営林署の職員が、わたしを見つけたようだ。わたしは刑事から質問を受けながら、今回の一部始終を話した。彼らは話が終わると急ぎ足で病室を出て行った。きっと、現場に向かったのだろう。
 
 それから二時間後くらいに、母が血相を変えてやってきた。
「どうしたの、いったい!」
 わたしは、母の顔を見たら涙が出て止まらなくなった。母には、今回の事は話したくなかった。おぞましい一連の出来事を口にすると、自分も家族も汚してしまうような気がしたからだ。しばらく何も言わずに母の手を握っていると安心して、また眠たくなった。
 
 目が覚めた。母は横に座っていた。「何時?」と訊くと、夜の七時だという。母は「ちょっと待ってね」と病室を出て行き、すぐに、主治医と昼間来た中年の刑事を連れて来た。
「ちょっと、刑事さんからお話があるようだから」と、母はわたしに告げると心配そうに「終わったら来るからね」と言い、部屋をあとにした。
 主治医は「山本さん。もう、体調は大丈夫そうだね」と言うと、刑事の目をちらっとのぞいて部屋を出て行った
 刑事が「すみませんねえ」と、言いながら、少しわたしに近づいた。
「さきほど、目黒整体に行ってきました」
 男は逮捕されたのだろうか、わたしは固唾をのんで次の言葉を待った。
「目黒整体に行ってきましたが、その、整体師の男はそこにはいませんでした」
 逃げたのか?捕まえてくれ、何をやっているのだ。
「近くに住んでいる人に確認しましたら、何年か前から目黒整体は営業していないとのことで、最近は、目黒整体付近では、誰も人の姿を見ていないようなのです」
 刑事はわたしの表情の動きを観察しているようだ。わたしを疑っているかのようにも思える。
「部屋には血痕もありました。今、調べていますが、おそらく、山本さん、あなたのものでしょう」
「人形はありましたか?」
 刑事は少し眉毛をゆがめた。
「ありました。確か、白衣を着た人形と言っていましたよね」
「はい、そうですが」
「人形は一体?」
「はい。そうです。一体です」
 刑事は目を細めた。
「人形は二体ありましたが」
「え?二体?いえ、人形は一体です」
「白衣を着た人形の横にポロシャツを着た人形がありましたが」
「ポロシャツを着た人形?」
「ええ、ここにホクロがある小太りの人形です」そう言って、刑事は右の眉毛の斜め上あたりを指差した」
「え?」
「写真を撮ってきたので見ますか?」そう言って背広の上着のポケットから小さめのデジカメを取り出した。刑事は、デジカメのボタンを操作すると、液晶画面をわたしの方に向けた。
「ちょっと貸してください」わたしはデジカメを刑事から受け取って顔に近づけた。小さな液晶画面だが、はっきりと写っている。わたしは画像を見て吐き気がしてきた。
 等身大の白衣を着た人形スティーブンの横に薄笑いを浮かべて立っているもう一つの人形。人形?これは人形なのか?
 わたしには、その人形は、わたしを何度も殴ったあの鬼畜野郎にしか見えなかった。
「それで、聞き忘れていましたが、何故、あの目黒整体に行ったのですか?」
 刑事にそう言われて、わたしは我に返った。
「腰痛の治療です」
 わたし刑事にデジカメを返すと、体を起こして急いでベッドから降りた。刑事は不思議そうにわたしの様子を見ている。わたしはベッドの横に立つと、刑事のいる前で、おかまいなしに腰をひねったり、回したりした。そして、しゃがんで立ちあがり、病室を早足で歩いた。
「大丈夫ですか、山本さん」刑事は怪訝な顔をしている。わたしが、いかれたとでも思ったのだろう。
 わたしは刑事を無視して、さらに、体を動かして、そして、確信した。
 
 やはり、腰痛はすっかり消えていた。
                             

おわり